指先で考える.

日本在住の某Ph.D studentが,気づきをまとめる場所.

立ち位置

 このブログで考えをまとめていくにあたって,自分の立場を自覚しておきたいと思う.

 

 2018年現在,日本の某大学にて半導体分野のPh.D studentをやっている.半導体研究にも当然様々な仕事があるけれども,私の仕事は,実際に半導体結晶を作製してみて,その特性を評価し,その結果を次の結晶作製にフィードバックしながら,所望の特性を示す半導体結晶を作製する方法を確立することである.他の立場では,例えば,「高度な理論計算・予測を構築する」とか「高度な評価技術を駆使する」といったことがある.

 

 この半導体研究の経験こそが,このブログを書き始めるまでに至った契機である.つまり,私が日々実際に自分の手を動かして半導体を作製している経験においては,「人類は科学技術の発展によって豊かになった」などとは到底思えないのである.例えば,スマートフォンの部品として内蔵されている半導体バイスを1つ作るのに,どれだけの膨大な初期的エネルギー投資が行われているのか,ということである.半導体を作るためには,まず,クリーンルームと呼ばれる特別な部屋を容易する必要がある.そこは,チリ・ホコリが極力取り除かれ,常に温度・湿度が一定に保たれた空間である.まずこの空間維持に電力が必要である(当然,24時間稼働).また,半導体作製のためには,有毒あるいは可燃性のあるガスや原料を使用する.つまり,地球上から採取してそのまま原料には使えないのであり,そもそも原料を用意するために多くのプロセスが存在する.ここにも当然電力消費が存在する.また,極度に純度の高い水も大量に必要とするし,デバイスへの加工段階で多くの薬品も使用する(当然,これらの特殊用途薬品を作るのにも電力が必要である.)などなど合わせこむと,半導体バイスを作製する準備段階で,そもそも大量のエネルギーを使っているのである.「消費エネルギーの小さい半導体バイスを世の中に普及させたからといって,人類全体での消費エネルギーが減る」などとは簡単に言えないのである.そもそも現代では,様々な分野で消費エネルギーの小さい電子デバイスが出ているのだから,「消費エネルギーの小さいデバイスを作って省エネ出来る」ならば,世界のエネルギー消費量はすでに減っていくべきではないだろうか.

 

 仮に省エネの話は置いていて,「テクノロジーが人類を幸福・豊かにした」という話もかなり疑問である.学会・シンポジウム等の公的な場において,当該分野の偉い先生が,「~という技術が実現出来たことで,私たちは社会の幸福や豊かさの貢献してきた」と述べられるのをよく聞くけれでも,そもそも彼らの言う「幸福」とか「豊かさ」とはなにを指しているのか,とすら思ってしまう.仮に「幸福」という状態を,皆がいつも嬉し楽しい状態を作りだすことだと言うのならば,私の立場は,「幸福」が「増える」ことなどない,である.理由は,基本的には一点だけ:私の日常経験から言って,「感情はいつも相対的である」ように思えるからである.つまり,何かを体験したときの喜怒哀楽の発現は,結局,それ以前がどういう状態であったか,が重要であるということである.最も卑近な例で言えば,のどが渇いている人にとって,一杯の水を飲める幸福感は大きいけれでも,さっき水を飲んだばかりの人にとっては,飲みたくないものにすらなる,というだけのことである.実際,生物学からも,「人間の体は,感情の平衡を取るように働く」,という知見が出ている.つまり,いつも「楽しい・幸せ」なんてことにはなりえないのである(「慣れ」と言ってもいいかもしれない).そもそも,喜怒哀楽がバランスよく表現されることが,人として健全というものではないだろうか.

 

 これらの,ある種の矛盾の起源は,かなり難しい問題なのだろう.今のところ,「そう言うなら,あなたは具体的にどうしたいのか・何をするのか?」と聞かれても,答えに詰まってしまうことに一番困っているのである.逆に言えば,私はその解答を見出したい(少なくとも自分の意見を持ちたい)のである.取り上げている問題はあまりにもスケールが大きく,漠然としているので,あと数年で何か具体的な行動に落とし込めるとも思えないが,とにかく「考えずにはいられない」,というのが正直なところである.

 

 少し脱線するが,こういう問題に関心を持つと,「環境保護活動」とか「かつて人類が自然と調和していたころの暮らしに戻ろう運動」といった活動に向かうことが考えられるが,私は別の方向性を模索したいと思っている.そもそもそういった活動は,根本的な解決策になりえないだろうし,活動している人自身があまり科学技術に明るくないことが多いように思える.科学技術が現代人の生活基盤になってしまっている以上,科学技術を使わない方向に持って行く行動は,まず機能しないように思えるし,科学の方法論がある範囲内においては非常に強力な問題解決策を提供してくれることは無視できない.(だからこそこれだけ世の中の有様を変えているのだし.)おそらく,実質的にインパクトのある提案は,十分な科学技術理解,すなわち自分の手で最先端のモノづくりができるという理解・素地の上に,立ち上がってくるものであると信じている.

 

 話を戻して,この複雑な問題に対する何かとっかかりはないだろうか.「日本人」として生まれ育ち,日本の大学で博士課程学生として「半導体研究」をしている私だからこそ出来るオリジナルな発想・仕事はないだろうか,と調べてみているのがここ最近の状況である.ただ,最近感じ始めていることは,「日本人として半導体研究をしていることは,もしかするとかなり幸運な立場ではないか」ということである.すなわち,ヨーロッパ・アメリカ以外では初めて「近代化」を成し遂げた日本,西洋近代思想と全く異なる文脈で文明を築きながらも,特に半導体分野において劇的な習熟と発展を見せた日本こそが,「「近代」の次」を提案できる可能性を秘めている,と考えることも出来るのではないだろうか.仮に,明治維新以前の日本文明と明治維新以後の日本が接続されたならば,その姿はすなわち,世界が次に目指すべきコミュニティのあり方になるのではないだろうか.

 

話がかなり飛躍したので,続きはまた今度.

 

2018.8.16 yshnb